2016
06.21

報道の自由について思うところ

時事ネタ, 独り言

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今日はソーシャルメディアの講義を大学院にて聴講。

そこから、同感と思うような事があったので時事ネタと合わせてレポートを書いてみようとを思う。

海老蔵、麻央を思い報道自粛を見ていて思うのが報道の自由とはなんだろうと思った。

たしかに、報道に自由はあると思うし、大事にするべきだと思う。

しかし、自由というのはなんだろうと考えて見ると、この世の中の問題や解決しないといけない事に対して多くの人たちが協力し解決できるようにするためであり、情報共有してもらう為にツールとして正しいものを届けるというのが本来メディアが果たさないといけないジャーナリズムであると思う。

その理念があってこそ報道の自由というものが正しく機能するものだと思うが、海老蔵、麻央を思い報道自粛を見ていて4回も嘆願しているのに関わらず、ゲスなジャーナリストがいるという事。

物事を比べるのは賛否両論あると思うがあえて言うと、ベッキーなどの不倫問題とは比べものにならないぐらいで、人の生き死になど関わってるのであればそこは道徳的に人として考えるべきではないかと思う。

というか、ニュースを見ていても割合的にもっと大事な事を伝えたらいいと思っている。
※東北や熊本の震災に関してや、原発問題などの本質の追及などそっちが重要だと思う。

授業の中では昔と今のメディアを考えるとただ単に会社という利益の為ノルマやコスト感覚があリ、しっかりとした報道ができなくなっているという事に長年ソーシャルメディアに関わってきた身としては、すごく納得できた部分でもある。

ようはコストを下げる為に2ちゃんなどから情報見たりして世論がこうだからと自分の足で調べず良くも悪くも足並み揃えて違った視点からの切り込みをできてないのも問題であると思う。

むしろメディアであるならば、そういった報道などする報道関係者を非難し困ってる人を助ける事が報道の自由を守る事だと思うし、それが未だにどこもおかしいものをおかしいと言わず黙ってるメディアこそ、報道の自由を言うべきではないと思っている。

純粋に考えてみて、報道の自由って分かるんではないかな。

それほどまでにもこの国は考えられなくなったのかと思うとつい最近身近に起こる事など含めてみて、報道マンって物事の判別がつかない子供がいうような自由の発想でしかないし、大人なのに理不尽を正義だと言ってるのだと思っている。

報道する側が上と戦わずコストに負けた時点で報道の自由はないのだと思うし、本当のメディアというのは上下、権力に負けず戦い勝つ事が本当の自由を勝ち取る事だと思う。

個人としては、自由というのは勝ち取るものであり、リバティ(自由)であるものだと思うのでもやもやするので書いてみた。

報道のモラルがなくなってきた報道こそゲスだと思うし、人のゲスの部分にはいくらでも言うのに自分たちのゲスな部分を報道もできない組織体質こそゲスではないかと思う。

もしも、本当のジャーナリストがいるのであれば報道の自由の為に本気で戦って欲しいし、くじけそうであればその本音を届け理解者を増やしていっても欲しい。

そういう報道を考えできる人は人は好きだなぁ。

『自由には責任が伴う』という言葉がありますが、「自由」を得たならば負うべき責任は『自由』を守る事ではないでしょうか。

自由を得た事に対し、感謝の意をこめて、大事にすること、それが唯一無二の責任だと思います。

もらったものを大事にする事を教えてくれた人に対し、ここ最近必死になり闘ってきました。

そこから、そうだったのかと自分の浅はかな部分など反省もしながら、多くのよき理解者である先輩達に支えてもらい理解してもらいどうやっていくか今後も考えたいと思います。

最後に麻央さんが1日でも早く復帰できるよう、心からお祈り申し上げます。

誰よりも『自由である為に一緒にいたいと思う人の為にこそ戦いたい』と思います。

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